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東京高等裁判所 昭和61年(行ケ)5号 判決

原告

鹿島

右訴訟代理人弁護士

市川渡

被告

高等海難審判庁長官

冨岡良平

被告指定代理人

藤宗和香

佐々木武男

君島通夫

伊藤喜市

三宅堅

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

高等海難審判庁が同庁昭和五九年第二審第四〇号貨物船第一熊本丸貨物船カンパニラ衝突事件について、昭和六〇年一二月一二日になした裁決中、原告を戒告する部分(主文第二項)を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事実の経過

(第一熊本丸の運航経過について)

(一) 第一熊本丸(以下「熊本丸」という。)は、船籍港神奈川県横浜市、船舶所有者訴外重見誠、総トン数一六トンの木造貨物船で、京浜港内またはその港界付近を航行するときは港則法三条所定の雑種船であるが、訴外重見誠が船長として自ら操舵操船にあたり、昭和五八年一二月一日午後三時三〇分ころ、横浜シーバース灯からほぼ九一度(真方位、以下同じ)2.2海里ばかりの港外に錨泊中の貨物船アルバシー号(総トン数一二万〇七三三トン、長さ約三三二メートルの貨物船、以下「ア号」という。)に機関の部品などを届ける目的をもつて接舷した。

(二) 熊本丸は、同日午後四時ころ、北東方に向首したア号の右舷船尾部を離れ右回頭したのち、横浜大黒防波堤西灯台(以下「西灯台」という。)をほぼ正船首に見てこれを進路目標とし(西灯台を目標とする針路は、およそ二六七度の方位線である。)、機関を全速力にかけて約7.8ノットの航力で進行し、京浜港川崎区第二区の南端付近を通過し、同時一〇分ころ同シーバース灯から約一〇一度、一七〇〇メートルばかりの地点に差しかかつたとき、右舷側五〇メートルばかりを隔てて自船を追い越していくカンパニラ号(以下「カ号」という。)の前路警戒船海洋丸を認めた。

(三) そのころ、海洋丸の乗組員が熊本丸に、後方を警戒するように手合図をしたが、訴外重見はこれに気付かず、また後方の見張りをしていなかつたので、カ号が熊本丸の右舷船尾四〇〇メートルばかりのところを同航して接近しつつあつたことに気付かないまま船首を左右に振りながら続航した。

同時一三分少し過ぎ、熊本丸の船首が右偏し始め、カ号の前路に進出する態勢になつていたが、訴外重視は羅針儀で針路を確認していなかつたこと及び前方から夕日による海面反射の眩しい光を受けて操船していたために、これに気付かないでいるうち同時一四分三〇秒ころ前記シーバース灯からほぼ一二〇度七〇〇メートルばかりの地点(以下「本件事故地点」という。)において、カ号の船首がほぼ二七五度に向首した熊本丸の右舷船尾に後方から約一〇度の角度で衝突した。

(四) 当時天候は晴れで、風力三の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であつた。

(カ号の運航経過について)

(一) カ号は船籍港パナマ共和国パナマ、船舶所有者カム・リー・ナビゲーション株式会社、総トン数三二七八トン、長さ九五メートルの船尾船橋型船で、鋼材及び雑貨など二五七〇トンを積載し、船首3.80メートル、船尾5.85メートルの喫水で、昭和五八年一二月一日午後二時三〇分船長アレジャンドロ・ソリアの指揮の下に千葉港を発し、京浜港横浜区第一区新港埠頭に向かつた。

(二) 原告はカ号の水先をする目的で、同四時五分ころ横浜シーバース灯からほぼ九〇度1.7海里ばかりの地点においてカ号に乗船し、間もなく針路を二六五度に定めたが、そのとき左舷船首約三〇〇メートルのところに熊本丸を初めて視認した。

(三) 同時六分ごろ機関を微速力前進、間もなく半速力、同時八分ころ約一一ノットの全速力前進に令し、次第に航力を増しながら進航し、同時一〇分ころ同港川崎区第二区に差しかかつたところ、自船とほぼ同針路で先航する熊本丸を左舷船首約一点四〇〇メートルばかりのところに見る態勢になり、そのまま進めば同船の右舷側を近距離ではあるが無難に航過できると判断し、熊本丸の動静に注意しながら続航した。

(四) 同時一三分少し過ぎ、左舷船首二点一六〇メートルばかりに接近した熊本丸が急にその船首を右偏して、自船の前路に向けて進出するのを認めたが、そのうちカ号に気付いて左偏するものと期待し同針路、同速力のまま進行した。

(五) 同時一四分ころ、依然熊本丸がカ号の前路に進出するので、前方五〇〇メートルばかりのところを先行中の海洋丸に対しトランシーバーで「あのボートがおかしい」と連絡し、急いで熊本丸に注意を与えるよう指示するとともに、機関を微速力前進に減じたが、間もなく熊本丸が自船の船首部前方の死角に入り見えなくなり、衝突の危険を感じたため、機関を停止にかけ右舵一杯をとつたが間に合わず、船首がほぼ西を向いたとき熊本丸に衝突した。

2  高等海難審判庁の裁決

高等海難審判庁は、昭和六〇年一二月一二日、熊本丸とカ号とが衝突した前記事故(以下「本件衝突」または「本件事故」という。)について、「本件衝突は、熊本丸を追い越すカ号側において、相手船の進路を避けなかつたことによつて発生したものである。原告(受審人鹿島)を戒告する。」との裁決(以下「本件裁決」という。)を言い渡した。

3  しかしながら、本件裁決は以下に述べるように違法である。

(一) 事実の誤認

カ号と熊本丸との関係は追越関係ではなく、追抜関係にあつたものであり、本件事故は熊本丸の重見船長が後方の見張りを怠り、カ号の前路に不当に進出したために発生したものであつて、原告の職務上の義務違反によつて発生したものではない。

(二) 法適用の誤り

本件衝突は港界付近において発生したものであり、港界付近の運航については海上衝突予防法(以下「予防法」という。)の特別法である港則法一八条一項を適用もしくは準用すべきである。したがつて、熊本丸が被追越し船であつたとしても、同船は同法三条の雑種船であるから、同法一八条一項により雑種船以外の船舶であるカ号の進路を避航すべき義務があつたというべきである。なお、この場合、熊本丸には予防法一六条による早期避航の義務が、またカ号には同法一七条一項による針路及び速力の保持義務があつたというべきである。

しかるに熊本丸は右義務に違反し、早期に適切な避航動作を採らなかつたため本件事故が生じたのであつて、原告には職務上の義務違反はない。

4  以上により、本件裁決は違法であるから本件裁決中、原告に対する戒告部分(主文第二項)の取消を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1について

(熊本丸の運航経過について)

(一)の事実中、熊本丸が京浜港内またはその港界付近を航行するときは港則法三条所定の雑種船であること、同船がア号に接舷した時刻が午後三時三〇分ころであつたことはいずれも否認し、その余は認める。

(二)の事実中、熊本丸の速度が約7.8ノットの航力であつたこと、海洋丸を認めた地点が横浜シーバース灯から約一〇一度、一七〇〇メートルばかりの地点であつたこと及び海洋丸が前路警戒船であつたことはいずれも否認し、その余は認める。

(三)の事実中、本件衝突地点がシーバース灯からほぼ一二〇度七〇〇メートルばかりの地点であつたことは認め、両船の衝突角度が約一〇度であつたことは否認し、その余は争う。

(四)は認める。

(カ号の運航経過について)

(一)の事実は認める。

(二)の事実中、原告が水先をする目的でカ号に乗船したこと及びカ号の針路を二六五度に定めたことは認め、その余は争う。

(三)の事実中、原告が午後四時八分ころ約一一ノットの全速力前進に令したことは認め、その余は争う。

(四)及び(五)の事実はいずれも争う。

2  同2は認める。

3  同3は争う。

三  被告の主張

1  熊本丸は、横浜港外に錨泊中のア号の舷側を発した後、西灯台を船首目標とし、針路二六七度、速力約八ノットで進行していたものであつて、本件事故地点は右針路上にある。

一方、カ号は、同船を水先する目的で原告が乗船したのち、針路二六五度とし、徐々に増速して約一一ノットの速力で進行し、同針路・同速度のまま本件事故地点に達したものである。

以上の事実によれば、両船の針路交角は約二度、速力差は約三ノット(一分間約九一メートル)であるから、両船の関係は海上衝突予防法一三条の追越し船の関係にあることは明らかである。

2  原告は、水先人としてカ号の操船に当たり、京浜港横浜区の港域外を二六五度の針路で航行中、左舷船首約七度、五七〇メートルばかりのところに熊本丸を視認し、その後同船とカ号が徐々に接近することを認めた。

当時の両船の態勢は、前記のようにカ号を追越し船、熊本丸を被追越し船とする関係であつて、カ号側において熊本丸の進路を避けなければならない場合であつたから、原告は、十分な間隔を保つて追い越すことができるよう熊本丸との接近状況に十分留意して操船すべき注意義務があつた(予防法一三条一項)。

しかるに、原告は、右注意を怠り、熊本丸が自船とほぼ平行な進路であるからそのままでも無難に追い越せるものと思い、その接近状況に注意せず、同船の進路を避けないまま進行した結果、本件事故が発生した。

以上のとおり、原告の職務上の過失は明らかであり、同人を戒告するとした本件裁決には何らの違法もない。

3  なお、本件事故地点は、京浜港横浜区の外側にある京浜横浜シーバース灯の南東方七〇〇メートルばかりの地点であり、横浜区の港域外であることは明らかであるから、両船の航法には港則法の適用はなく、予防法を適用すべきである。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  港則法の適用について

被告は、本件事故地点は横浜港の港域外であるから港則法の適用がないと主張するが、港則法は以下に述べる理由により港の境界線付近にも適用すべきである。

(一) 港の境界は標識などにより外観上明示されているものではないから、港則法を港内に限定して適用することは困難である。

(二) 新予防法(昭和五二年六月一日法律第六二号)四一条では港及びその境界付近という文言が削除されたが、旧予防法(昭和二八年八月一日法律第一五一号)には港則法が港及びその境界付近に適用されることが明記されていたのであり、新法及び旧法を通じて法の趣旨は変わらないから新旧同一に解すべきである。

(三) 開港港則施行規則(昭和二年四月一二日逓信省令第七号)一四条は、無限定に雑種船が汽船及び帆船の進路を避けるべきことを規定していた。操縦自由船は操縦不自由船を避航すべきであることは自然的基本原則であるから、港の境界付近にもこの原則を適用すべきである。

(四) 雑種船の避航に関する港則法の規定が港内だけに限つて適用されると、港内と港外において矛盾する二つの航法が適用されることとなり、雑種船の航法が複雑化し、港内の交通安全と整とんが害されることになる。

2  港則法の準用について

港則法一八条一項が港内のみに適用されるとしても、港則法の目的に照らすと、港の境界線が複雑に入り込んだ特殊な海域で、船舶の交通も多く、本来港域として定めるべき海域については、同法を準用すべきである。

本件事故地点付近は、港の境界線がV字形に入り込んだ特殊な海域であり、船舶の交通が錯綜している状態であつて、本来であれば当然港域に指定されるべき海域であるにもかかわらず、例外的に右指定からもれているものである。したがつて、本件事故地点付近には港則法を準用すべきである。

3  予防法三九条の適用について

本件事故地点付近は、港の境界線がV字形に入り込んだ特殊な海域であり、船舶の交通が錯綜している海域である。したがつて、本件の場合は、予防法三八条、三九条により熊本丸がカ号の進路を避けるべきであつた。

すなわち、熊本丸は港内において避航義務を負わされている雑種船であり、操縦自由船は操縦不自由船を避航すべきであるとの基本原則に照らすと、実質的には港内と変わらない本件事故地点付近においては、熊本丸が被追越し船であつたとしてもカ号の進路を避けるべきであつた。

五  原告の主張に対する被告の反論

1  港則法の適用について

港則法二条は、「この法律を適用する港及びその区域は政令で定める」と規定し、これを受けて港則法施行令(昭和四〇年政令第二一九号)一条は、「港則法第二条の港及びその区域は別表第一のとおりとする。」と規定し、本件事故に関係のある京浜港も同表中に適用港として記載され、その区域は、同表中に明示され、また、京浜港の記載されている海図上に断線をもつて記載されている。したがつて、海図を見ればその港界線は一目瞭然である。

原告は、港界線は外観上明確でないから、港の境界付近にも港則法を適用すべきであると主張するが、船舶は、通常海図上に針路を記入し、物標によつて船位を確認しながら航行するものであつて、自船が港内を航行中か港外を航行中かを十分認識しているものである。ましてや、当該港の水先人は、その港の港湾事情を十分理解しているから、船位を測定するまでもなく、付近の物標を目視することによつて容易に港界を認識することができるのである。

原告は、旧予防法三〇条一項と新予防法四一条一項は同一趣旨の規定であるから、「港及びその境界付近」との文言が削除された新予防法の下においても旧予防法三〇条の規定と同様に解釈すべきであると主張するが、右各条項は、港則法の適用範囲を定めたものではなく、海上衝突予防法の特別法として制定されている港則法が、予防法に規定する航行等の運航に関する事項につき特例を定めている場合は、その特別法たる性格からいつて港則法の規定が予防法に優先して適用されるといういわば当然のことを明らかにしたものに過ぎない。仮に原告主張のように、予防法によつて港則法の適用範囲が定められるとすると、同法二条の規定は全く無意味なものとなる。

原告は、開港港則施行規則(昭和二年四月一二日逓信省令第七号)一四条によれば、雑種船の避航に関する規定(港則法一八条一項)の適用範囲は無限定であつたから、同規定を踏襲した港則法一八条一項を港内に限定して適用すべき理由はない旨主張するが、開港港則施行規則中の「航路」は、同規則の別表第二に定めるとおり港内のみに設けられた水域であるから、同規則第二章航路の各規定及び第三章航法の各規定は、その適用範囲が明示されていなくても港内に限定されるものである。また、同規則施行当時の防波堤及び埠頭などは港内に設置されていたから、第三章航法における一〇条の防波堤の入口の航法に関する規定はもちろん、一五条の防波堤及び埠頭付近の航法に関する規定も港内にのみ適用されたものである。したがつて、右施行規則第二章航路及び第三章航法に関する各規定は「港内において」のみ適用される場合、改めて「港内においては」という文言を使用していないのである。

したがつて、右施行規則一四条の雑種船の航法に関する規定の適用範囲は無限定ではなく、開港港則(明治三一年七月八日勅令第一三号)の定める諸港(同港則施行当初は、横浜、大阪、神戸、門司及び長崎の五港)の港内だけに適用されたものである。

なお、原告は、雑種船は港内のみを航行するものではないから、雑種船の避航に関する規定は当然に港内のみではなく港界付近にも適用されると主張するが、雑種船の航行範囲と雑種船が避航しなければならない水域とは全く別個の問題である。

原告は、雑種船の避航に関する港則法の規定が港内だけに限つて適用されると港内の交通安全と整とんが混乱すると主張するが、同規定の適用範囲が港内だけでなく港界付近に拡張されると、どの範囲を港の境界付近とするかが不分明となり、港界付近を航行する各船舶が任意にこれを判断することになれば、かえつて混乱を招来することになる。

2  港則法の準用について

原告は本件事故地点付近のような特殊な海域には港則法一八条一項を準用すべきである旨主張する。

しかしながら、港則法は、港内における船舶交通の安全及び港内の整とんを図ることを目的として港内に適用されるものであり、右目的を実現するために、船舶の利用状況、地勢等の自然条件、港湾施設の規模、近い将来の施設の建設計画等を勘案して、港の区域を定めている。そして、同法の適用を港内に限定したのでは右目的の実現が困難である場合には、個別的に規定を設けてその適用範囲を拡張している。例えば、船舶の速度制限に関する同法一六条は「港内及び港の境界付近」と、水路の保全に関する同法二四条一項は「港内又は港の境界外一万メートル以内」と、同条二項は「港内又は港の境界付近」と、灯火の制限に関する同法三六条一項は「港内又は港の境界付近」とそれぞれ定めている。

このように、港則法の適用は原則として港内に限られ、港外に適用する必要がある場合には、個別的にその適用範囲を規定しているのであるから、右のような特別の規定がない場合に、解釈により法の適用範囲を拡張することは許されないというべきである。

3  予防法三九条の適用について

原告は、本件の場合予防法三九条により、熊本丸がカ号を避航すべきであつたと主張するが、本件事故は、両船が京浜港横浜区の沖合を航行中、同港の港外で発生したものであり、両船の動作に影響を与えるような他船や構造物などが存在していたものではなく、特殊な情況があつたという場合ではないから、本件につき予防法三九条にいう船員の常務を考慮する余地はない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一高等海難審判庁が昭和六〇年一二月一二日本件事故について原告主張のとおりの裁決を言い渡したことは、当事者間に争いがない。

二原告は、本件事故の発生について原告に職務上の過失はなく、本件裁決は事実を誤認し、法令の適用を誤つたものであつて取消を免れないと主張するから、以下この点について順次判断する。

1  カ号が追越し船であつたことについて

熊本丸が昭和五八年一二月一日午後四時ころ横浜シーバース灯からほぼ九一度、2.2海里の港外に北東に向首して錨泊中の貨物船ア号の右舷船尾部を離れ、右回頭したのち、西灯台をほぼ正船首に見ながら針路二六七度、全速力(成立に争いのない甲第七号証によれば、熊本丸の速力は約八ノットであつたことが認められる。)で航行していたこと、そのころ、カ号は左舷船首前方に熊本丸を見る位置から針路二六五度、速力約一一ノットで京浜港横浜区第一区新港埠頭に向かつていたこと、カ号及び熊本丸は京浜横浜シーバース灯からほぼ一二〇度七〇〇メートルの地点において本件事故を起こしたことはいずれも当事者間に争いがない。

右事実によれば、カ号は熊本丸の正横後二二度三〇分を超える後方の位置から熊本丸を追い越そうとしたものであると認められるので、カ号が予防法一三条二項にいう追越し船に当たることは明らかである。

2  本件事故の原因について

前記争いのない事実及び〈証拠〉によれば、熊本丸は総トン数一六トンの木造貨物船で港則法三条の雑種船であるが、昭和五八年一二月一日午後四時ころ、重見船長の操舵操船により、前記錨泊中の貨物船ア号の右舷船尾部を離れ、右回頭したのち、針路二六七度、約八ノットの速度で船先を左右に振りながら西灯台を目指して航行したが、見張りを置かず、後方に対する注意を怠つていたため、本件事故発生に至るまでカ号が後方から接近して来ることに全く気付いていなかつたこと、原告は同日午後四時五分ころ横浜シーバース灯東方約1.4海里の地点において水先のためカ号に乗船し、針路二六五度、速力約一一ノットで京浜港横浜区第一区新港埠頭に向かつたこと、原告はカ号左舷船首前方に熊本丸がカ号とほぼ同方向に航行していることに気付いていたが、そのまま直進しても熊本丸の右舷横を追い抜けるものと考え、カ号の針路を変えることなく熊本丸に接近して行つたこと、カ号が熊本丸の後方約一〇〇メートルに接近したころ、原告は熊本丸の進路が右偏しつつあるのに気付き、カ号の前路を航行中の海洋丸に対しトランシーバーで熊本丸の進路がおかしいので注意を与えるように指示するとともに、機関を微速力前進に減速したが、間もなく熊本丸が船首部の死角に入り衝突の危険を感じたので、機関停止、右舵一杯を取つたが、間に合わず、カ号船首が熊本丸の後尾に追突したことが認められ、〈証拠〉の記載中、熊本丸が急にカ号の前路に進出してきた旨の記載部分は〈証拠〉及び前記争いのない両船の航行目標、針路、速度関係などに照らし直ちに採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、〈証拠〉によれば、本件事故地点(京浜横浜シーバース灯からほぼ一二〇度七〇〇メートルの地点であることは当事者間に争いがない。)は港の区域外であることが認められ、これに反する証拠はない。

以上の事実に基づき本件事故の原因について検討するに、本件事故の原因の第一は、カ号は熊本丸を追い越す関係にあつたのであるから、カ号としては、できうる限り早期に、かつ、大幅な動作により熊本丸を避け、確実に同船を追い越すように努めるべき義務があつた(予防法一三条、一六条)にもかかわらず、原告がこれを怠たり、熊本丸との間隔を十分にとらないまま同船の右舷横を追い越そうとしたことにあり、第二は、原告は、カ号の約一〇〇メートル前方を同方向に航行中の熊本丸が右偏してカ号の前路に進出してくるのを認め、かつ熊本丸船長が後方から接近してくるカ号に気付いていない様子を察知したのであるから、かかる場合には当然に衝突の危険を予見し、直ちに汽笛吹鳴、右舵一杯、機関停止又は全速力後進などの臨機の措置を行うべきであつた(予防法三八条、三九条)にもかかわらず、原告は機関を微速力前進に減速したのみで、これらの措置を行わず、間もなく熊本丸がカ号の船首部の死角に入つた後に機関停止、右舵一杯の措置を行つたこと、すなわち臨機の措置が遅きに失したことにあるものと認められる。

もつとも、熊本丸船長重見が後方に対する注意を怠り、進路が右偏してカ号の前路に進出する状態になつていたことに気付かなかつたことも本件事故の一因をなすものであるが、そうだからといつて原告の前記過失の存在を否定することはできず、本件事故は右両者の過失により生じたものと認めるのが相当である。

3  原告は、港界付近には港則法を準用又は適用すべきであり、同法一八条一項により雑種船たる熊本丸がカ号の進路を避けるべきであつたと主張し、その理由をるる述べるが、港則法は、同法の規定を港域外に適用する場合には個別にその旨を明示しているのであり(同法一六条、二四条一項二項、三六条一項など)、同法一八条一項は「雑種船は、港内においては、雑種船以外の船舶の進路を避けなければならない。」と規定し、その適用範囲を港内に限定しているのであるから原告の右主張は採用することができない。

なお、港の区域は港則法施行令一条別表第一に明定され、海図上にも明示され、また、水先人は免許を受けた当該水先区の水路、水深、距離、浅瀬等の航路障害物、航路標識その他重要な事項に関する知識を有することを要求されており(水先法六条)、したがつて、水先人たる者は港付近の物標などにより港の境界線の位置を容易に確認し得るものであるから、右のように解しても原告主張のような不都合が生じることはなく、かえつて明文の規定を無視し解釈により船舶の航法に関する規定の適用範囲を拡張することは、解釈の相違によつて航法の混乱を招くことになるから相当でないというべきである。

また、原告は、操縦自由船は操縦不自由船を避航すべきであるとの原則あるいは船員の常務として熊本丸がカ号を避航すべきであり、本件事故は熊本丸の右義務違反により生じたものであると主張するが、本件事故は前述したように、原告及び熊本丸船長両者の過失により生じたものであるから、たとえ熊本丸船長に原告主張のような義務違反があつたからといつて、原告に責任がないということはできない。

三以上によれば、本件事故につき原告に職務上の過失があるとして原告を戒告した本件裁決は適法であり、原告の本件請求は理由がない。

よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官森綱郎 裁判官髙橋正 裁判官清水信之)

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